カイザー日記   章 「再動」


Chapter:5 「希望の世界」

8/22 晴れ

リニューアルした「希望の世界」。昔の仲間が戻ってきたらしい。「渚」さんが「こんにちわ」と挨拶してる。
三木と渚さん。二人は連絡を取り合ってるのか?今のところ彼女は敵か味方かわからないな。
いや、彼女なんて呼び方も正しくないかもしれない。男である可能性も充分考えられる。
まだ三木は来てないけど恐らく見てるだろう。「希望の世界」はハッキングとは関係なくアクセスできるんだから。
僕はsakkyとして渚さんに返事をしておいた。「お久しぶり」この返事で問題は無いな。
渚さんは何故今まで黙ってたのだろう?見てはいたのか、見てもいなかったのか。
「こんにちわ」と言われるとまるで初めて来た感じがする。慣れた常連なら今まで見てなかった理由、もしくは
見られなかった理由等を書くはずだ。久々の登場なんだから何か気の利いた事を言うのが礼儀だ。
それに「TOMO」さんと「えんどうまめ」さんは相変わらず登場してこない。
変わった。僕が乗っ取って以来、「希望の世界」は明らかに違うモノになっている。「それは違うぞ」
また声が聞こえた。違う?何が違うんだ?「順序が逆だ」・・・・・・・・・・・順序?ああ、なるほど、そう言うことか。
乗っ取ってから変わったんじゃない。僕は変わってしまった「希望の世界」を乗っ取ったんだ。
変わってしまった故に乗っ取ることができたのだ、とも言えるかもしれない。
ならば・・・とことん変えてやろうじゃないか。どんな理由で「希望の世界」が変わってしまったのかはわからない。
ただ、一度変わったモノはそう簡単には戻らない。・・・・・・・・僕が壊れてしまったのと同じように。
戻れないのなら進むしかないじゃないか。「希望の世界」を再び動かして、僕は進む。
再始動だ。


8/23 晴れ

麻生で捕まったサルがアザミと名付けられたそうだ。そして、「希望の世界」にも「K.アザミ」が登場した。
三木、渚さん、「K.アザミ」、sakky。「希望の世界」は確実に動き始めている。
今日も病院に行ってカウンセリングを受けてきた。これで僕の狂気は治るのかは疑問だけど続けるしかないな。
1回や2回カウンセリングを受けたところでその効果は簡単には現れないと思う。地道に通うとするか。
僕を病院に通う原因を作った三木は今のところ大人しくしてるみたいだ。電話もないしネットの書き込みもない。
でも奴は「希望の世界」を見てるはずだ。ハッキングがバレた事を知って様子を伺ってるのかもしれない。
悔しいことにハッキングの詳しいメカニズムは僕にはわからないけど、奴が僕のパソコンに侵入してる最中に
コンセントを抜いてやったんだから、三木にも何か異変があった事がわかるはずだ。それは間違いないと思う。
ただ、奴の次の行動が予想つかない。三木、次はどのようにして僕に近づいてくる?ネットか?現実か?
それとももう僕に手を出すのを止めたのか?「その可能性は薄い」・・・・・・・・・・・確かに。虫の言う通りだ。
僕は三木に対して何か有効な反撃したか?してない。僕はただハッキングの事実を突き止めただけだ。
三木は、全く傷を負っちゃいない。無傷のままでただ身を引くだけなんて考えられない。
三木は、そんな生やさしい相手じゃない。僕の窮地は相変わらず続いていると言ってもいいだろう。
この窮地から脱する事が出来ない限り、僕は正気には戻れない。そんな予感がする。この予感、恐らく・・・・・・
間違ってはいない。


8/24 曇り

三木が再びやって来た。「やっと来てくれましたね」とほざいてやがる。
少し前、僕は確かにネットに繋いでなかった。三木の奴その間もずっとネットで僕を待ちかまえていたのか。
だけどこうしてまた向かい合う事になったわけだ。今度は監視されてない僕と。
今はもう奴は日記を読んでいない。僕はパソコンを使わない時、コンセントとモジュラージャックを抜くようにした。
ハッキングなんかさせるものか。いつまでも見られてるわけにはいかないんだ。
監視されてない、と考えることで頭が少しスッキリした。監視の恐怖に怯えて狂気に包まれる事が少なくなった。
病院のカウンセリングの効果なのかもしれないけど、とにかく以前のような奇行はしなくなった・・・・と思う。
僕がとってる行動が正気のものなのか狂ってるのか自分じゃ判断することはできない。
テレビに向かって話しかけたり新聞を短冊状に切り裂いたり机の上に立って天井を眺めたり指を舐め回したり
誰もいない所で笑ってみたり電話が鳴るたびにビクっとしてみたり貧乏揺すりがやめられなかったり
ゴミ箱をひっくり返して紙屑の数を数えてみたり突然惚けてみたりするのは異常な行動だと言い切れるのか?
何処までが正気でどこからが狂気なのかその境目はあるのだろうか?そもそも境界線なんか引けるのか?
ただ、はっきりしてるのは僕は完全に正気の方には居ない、ということ。
僕は「希望の世界」で渚さんに無難な返事を返して置いた。オーケー。ここでは僕が狂ってる事はバレてない。
「希望の世界」での僕は正気の部分の象徴みたいなものだ。これを失うと僕はもうモトに戻ることはできない。
三木は来た。もう逃げるつもりはない。「希望の世界」に託したおいた「正気の僕」は守らなければいけない。
覚悟はできてる。


8/26 晴れ

「渚」さんが痛い発言をしている。「本音で話しあえるのっていいよね。」だって。
本音で話し合えたら、確かに素晴らしい事だよ。でもここは・・・・・「希望の世界」は偽りだらけの世界だ。
少なくとも僕と三木は偽ってる。僕と三木の関係は「希望の世界」のそれとははるかにかけ離れてる。
ネット上でも三木はたまに本性を垣間見せてたけど、現実での奴はそんなのとは比べモノにならない。
ハッキングの技術を持った悪魔だ。これまで出会ってきた人間の中で最低の部類に入る奴に違いない。
あんなの人間ですらないかもしれない。人の姿をしてないんじゃないのか?豚だ。豚野郎だ。豚豚豚豚豚豚豚
三木は豚だ三木は偽善者だ三木は最低の豚野郎だ三木は人間じゃない三木は豚三木は豚三木は豚
僕は?僕も、偽善者だ。ネットじゃマトモぶってるけど本当はこんな狂った人間なんだ。正気じゃないんだ。
病院がよいの精神異常者がネットで女性を演じてる。僕も三木と同じ様なものかもしれない。
「希望の世界」。改めてこの名前を見てみると悲しくなってくる。希望?ここにはそんなものがあるのか?
あんなマジメな事を言う渚さんにとっては「希望の世界」と言えなくもないだろう。だけど、僕には無い。
僕の希望はここには無い。あるのは三木によってもたらされた絶望だけだ。
「希望の世界」の管理人に「希望」が無いなんて・・・・・・・・なんて愚かな話なんだろう。
僕だってネットでも正直になりたい。でももう遅い。僕は既にネットの世界を信じることができなくなってしまった。
NSCを作った時から僕の運命は決まってたんだろうな。ネットストーキングはあまりに罰当たりな行為だった。
その結果がこれだ。精神が破綻して挙げ句の果てハッカーに追い詰められてる。
僕に希望はないのか?


8/28 晴れ

三木は前の書き込み以降なんのアプローチもしてこない。僕の知らないところで何か進めてるな。
もうすぐ学校が始まってしまう。そうしたら多くの人に出会うことになる。三木の手が学校まで回っていたら・・・・
嫌だ。考えたくない。学校が僕の知らない世界になっていたらどうしよう。僕の存在が消えてたらどうしよう。
みんなして僕を追い詰めてきたらどうしよう。僕の味方はいない。学校に、行きたくない。コワイコワイコワイコワイ
今日も病院に行った。落ち着く。お母さんの言った通り入院すれば良かったかもしれない。
パソコンの使用を許可されてる患者さんもいるんだったっけ?いいな。ノートパソコンなのかな。
精神病院からネットに繋いでこっち側との交流か。その人、1度会ってみたいな。
僕の苦しみを分かってくれるかもしれない。三木と対峙する覚悟は出来てる。でもこのままじゃあまりに不利だ。
味方になってくれなくてもいい。せめて、せめて僕の悩みだけでも聞いて欲しい。聞いてくれる人が欲しい。
大人は駄目だ。僕を変人扱いして終わりだ。看護婦さんやカウンセリングの先生に話しても無駄だな。
あの人たちは僕を「患者」としてしか見てない。何を言っても「精神異常者の戯言」で終わらされてしまうだろう。
僕は本当にハッキングされたんだ。三木は僕を何故だか知らないけど追い詰めてくる。誰か聞いてくれよ!
僕自身の問題。悲しいくらい僕自身で解決しなくちゃいけない問題だ。そして、あまりに重すぎる。
誰だ分からない人に理由も分からず監視されたりするんだぞ。この怖さ、分かってくれる人はいないのか?
「希望の世界」には三木がいる。現実でも三木は近づいてきてる。奴は僕が中学校に通ってる事を知ってる。
病院は・・・僕が精神病院に通ってる事は知ってるのか?「知らないはずだ」
そうだ。僕が精神病院に通うことになった事を書いた日の日記はギリギリ読まれなかったはずだ。
味方を作るならあそこしかない。三木、お前は僕の知らないところで何かを進めてる。
なら僕は、お前の知らないところでお前の知らない「何か」を進めてやろうじゃないか。
少しだけ、光が射してきたかもしれない。


8/30 晴れ

病院に行った時、僕は先生にパソコンの使用を許可されてる患者に会いたい、と言った。
先生は変な顔をして何でそんな事がしたいのか聞いてきた。僕ははっきり言ってやった。
「僕はパソコンのやりすぎでここに通う事になりました。その人もパソコンを使う人なら話が合うと思うんです。」
確かに会話する事は回復の為の良い手段だけど・・・と言ったものの先生はあまり乗り気じゃないようだった。
僕は食い下がった。僕は話し相手が欲しいんです。同じパソコンを趣味とする人と悩みを語り合いたいんです。
先生は観念したらしく、なんとか話をつけてみるみたいな事を言ってました。これで一歩前進した。
今日もまた「希望の世界」へ。「K.アザミ」が「大丈夫。怖いものなんてないよ。」との書き込み。
そう。三木を怖がる必要なんて無い。僕には今味方ができようとしてるんだから。
精神病院からネットを繋ぐまだ見ぬ「味方」の姿を想像してみた。やっぱり年上の人かな?それとも・・・・
僕は以前病院で見た女の人の姿を思い浮かべていた。何処かで見たような、見た事ないような顔。
あの人にももう1度会いたいな。漠然とそんな事も考えてみた。あの人は一体何者なんだろう?
三木はまだ「希望の世界」に来てない。じきに学校は始まる。夏休みはもう終わりだ。
夏休みが始まる前と、今。僕を取り巻く環境と、僕自身とはあまりに変わってしまった。
ああ、もう考えるのはよそう。希望は少しだけ見えてきたんだから。なるようになるしかない。
僕は僕が今出来ることを可能な限り進める。三木が次に何をしてくるかなんて僕にはわからないんだから。
「希望の世界」の未来だって、見えない。


Chapter:6 「学校と病院」

9/1 晴れ

久々に学校に行った。防災の日だかなんだか知らないけど防災訓練なんてものをやらされた。
廊下に煙がたかれて(害のないニセモノなんだろうけど)僕たちはそれを避けてグラウンドまで逃げた。
みんなはヘラヘラ笑ったりおしゃべりをしながら歩いてる。煙は僕のすく後ろまで迫ってきてた。
灰色の煙が僕を襲う。その煙が僕の体中にまとわりついて身動きがとれなくなる姿が頭に浮かんだ。
僕は煙が怖くなった。前を歩く人たちをかき分けて僕は先へ先へと進んだ。煙はまだ追ってくる。
みんなは相変わらず平然としてる。なぁ、煙が来てるんだぞ。早く逃げなきゃ。早く、もっと早く!
なんで笑っていられるんだ?歩いてたら追いつかれるぞ。はやくしろ。逃げないのか?怖くないのか?
僕は一人で先に進んでいった。誰かがせっかちな奴だなぁ、と言った。それでも僕は先に進んだ。
誰も僕が先に進むことなんか気にとめちゃいなかった。後ろの方で煙の中に入った人がいた。
ケムたがって前に走ってきた。先生が叫んだ。「チンタラしてるからだ!本物だったら大変な事になるぞ!」
みんながしぶしぶ歩くペースを早めた。お喋りをする人も少なくなってきた。煙から随分距離が離れた。
そうだ。それでいい。みんなは煙の魔の手から逃げ切れることができるだろう。でも、でもね。
僕だけは既に大変な事になってしまってるんだ。煙は僕に向かってまだ追ってくる。外に出ても。家に帰っても。
全校生徒が集合して消防署の人が批評みたいなことを話していた。僕にはそんなこと関係なかった。
「希望の世界」につなぐ。「K.アザミ」が「一人じゃ何もできないでしょ?」と言う。
味方が欲しい。仲間さえいれば三木に対抗する手段があるのに、ってわけじゃない。
煙の中で、一人で居るのはあまりに寂しすぎるから。だから。
一緒にしてくれる人が欲しいんだ。


9/2 晴れ

学校ではもう授業が始まった。今年は受験の年だとかここで頑張らないと駄目だとかそんな話が耳に入った。
普通に行けば僕は来年高校生になる。普通にいけばの話だけど。僕はこのままで高校に上がれるのだろうか?
僕は今普通の状況に立っていない。虫の幻聴が聞こえ、精神病院に通い、まだ見ぬ三木に怯えてる。
闘う意志とは裏腹に僕は心の底では三木に怯えてる。虫は話かけてくるだけで僕を救ってはくれない。
学校では普通のフリをしてる。みんなと同じように受験勉強の愚痴を言い、同じようにテキストの問題を解く。
僕が変わってしまった事はなるべく悟られないようにしたい。あるいは既に知ってる奴はいるかもしれない。
三木の手先が潜り込んでる可能性だってある。しかし僕には他人の正体を見極める事なんかできない。
ただひたすらに疑いの目を向けるだけだ。他人を疑うことは信用するよりずっと楽なことだった。
その代わりに僕は孤独を感じるようになった。誰も信用することができないと、人って簡単に孤立しちゃうんだな。
いじめとかそんな類のものじゃない。表面上では当たり障りのない会話をしている。嫌われてるわけでもない。
それは、本当にただ孤立してるだけなんだ。僕と僕の周りにいる人たちをつなぐ何かが壊れてしまったんだ。
溝ができたのでも壁ができたのでもない。何もない。妨げるモノは何もないはずなんだ。
少し動けばみんなに触れることができる。だけど僕は動かない。動けない。みんなは決して遠くにはいかない。
僕の方から歩み寄れば「普通」に戻れる。ちゃんとみんなは目の前にいるんだから。
僕は、後ろを向いた。そして、みんなが見てない方向に歩いていく。そんなイメージが頭の中に現れた。
「その先にあるのは希望の世界か?」そうかもしれない。僕は学校より「希望の世界」を取ったのだろう。
普通の世界にはしばらく戻れそうにない。


9/3 曇り

僕は学校の人たちと心の中で別れを告げた。昨日から感じていたことだけど、孤独感はますます強まっていた。
みんなの話し声は遙か遠くで話してるように聞こえ、その内容は僕の頭を通り抜けて何処かへ行ってしまう。
うまく会話することができない。誰がどんなことを話してたのか今ではカケラも頭の中に残ってない。
話しかけられて適切な言葉で答えられなくても、決して異常と思われることはなかった。
うまく会話できないことは僕にとってとても寂しいことだけど、他の人にとってはどうでもいいことなんだろうな。
おそらく僕が狂ってる事も、みんなには関心のない事だ。僕は一人で狂い、一人で悩んでいる。
学校の帰りに病院に寄った事もみんなは知らないだろう。知る必要がないし、知って欲しくもない。
病院では会話ができた。ベンチに座ってると向こうから話しかけてきた。
「ねぇ君。何処か悪いの?こんな所で何やってるの?ベンチに座ってどんなこと考えてるの?」
確かこんなセリフだったと思う。学校での会話は覚えてないのに病院で話しかけられた内容は覚えてる。
僕は「僕は心が病気でカウンセリングを受けに来て学校のみんなに告げる別れの言葉を考えてた。」と答えた。
何処かで見たことのあるその男はうんうん、と何度も頷いてからしゃべり始めた。
「僕はね、ここには少しの間入院してたんだけど、3ヶ月くらいかな。ごめん。正確な数字は思い出せないや。
でも君には関係ないことだよね。ごめん。関係ないことばっかり喋っちゃって。でね、その入院してた時の事
なんだけどさ、もちろん入院すると『中』にはいることになるんだけど、そこに入るとなかなか出られないんだよ。
自分から出たいって言っても許可がおりるか『外』の信用できる誰かが連れだしてくれないと出れないんだ。僕の
場合たまにお父さんが来てくれて『外』にでる事ができたけど、基本的には出られないんだよ。完全に出るため
には先生達に『こいつはもう外に出しても大丈夫だな』って思わせなきゃいけないんだ。僕はそう思わせることに
成功したけど外に出たら出たらで不安になってこうして『通い』にしてもらってここにきてるんだ。君も『通い』?」
自分でも驚くほど彼の言葉を鮮明に覚えてる。こうして文章にしてみてわかったけど意外と長い言葉だったな。
その後確か「僕も、『通い』」と答えたんだ。そして彼はしゃべり続けた。
「そっかそっか。じゃ、今の僕らは同じ境遇なんだね。ごめん。僕と同じなんかにされたくない?でもね、君には
何故か話しかけなきゃいけない気がしたんだ。なんでだろう?また明日も来る?君とはゆっくり話をしたいんだ。
今日と同じ時間、このベンチに座っててくれないかな?僕も来るから。君には是非話を聞いて欲しいんだ。」
そこまで話してしまうと彼は「じゃ、また明日」と僕の返事も聞かずに帰ってしまった。
なんで今日全部喋ってしまわなかったんだ?それに、僕に聞いて欲しい話って?
またわけのわからない気持ちになってしまった。ただ、これだけは言える。「奴は味方にはなり得ない」
「希望の世界」に繋ぐ気分にはなれなかった。とにかく彼の話を最後まできかなきゃ、と思った。
明日、また病院に行こう。


9/4 晴れ

病院で昨日のベンチに座ってると、奴がやって来た。やっぱり何処かで見た顔だと思った。
とにかく喋る奴だった。それにやたら「ごめん」と謝ることが多かった。意味もなく謝る姿はとても哀れに見えた。
「僕が中に居たときにね、面白いおもちゃを見つけたんだよ。最初はそのおもちゃ怖い人が持ってたんだけどね
変な女が勝手に持ってっちゃったんだ。でもその怖い人は気にしてなかったみたいだよ。その女が持ってる時
でも構わずそのおもちゃで遊んでたし。ごめん。そのおもちゃが何か言ってなかったね、お人形さんなんだよ。
殴りたくなるくらいカワイイお人形さんだよ。それがね。その女が持ってるときは二人でお喋りなんかしてたくせに
僕が持つと全然喋らないんだ。むかつくよね、そうゆうのって。バラバラにしたくなるくらいムカツクよね。ね?」
僕が「別に」と答えると奴は何度も何度も謝ってきた。土下座までしてきた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいだって僕はムカツイたんだもんムカツクのが当たり前だと
思ったんだモンバラバラにしたくなるのは僕だけじゃないはずだっておもったんだもんごめんなさいごめんなさい
ごめんなさいもうしませんもうしませんもうしません許して下さいお願いですバラバラにはもうしませんバラバラァぁ」
その後はもう聞き取れなかった。壊れたように泣きじゃくってそのまま何処かに消えてしまった。
奴が居なくってからもベンチになんとなく座ってたら、突然あいつが誰だったのか思い出した。
僕が「中」に入った時、すれ違った奴だ。先生に抱えられて今日みたいに泣きじゃくってた。
間違ってもあいつだけは味方にはしたくない。話もうまく飲み込めなかったし。変な女?人形?バラバラ?
あいつが「変な女」と言うくらいなんだからその女の人はマトモなんだろうな。変なのは奴の方だ。
それが僕の感想だった。奴の話のせいかわからないけど、何故か今日も「希望の世界」に繋ぐ気がしない。
変な気分。


9/6 晴れ

なんて事だ。味方はできない。
先生から面会が断られたことが伝えられた。学校でも一人だし病院でも一人だ。
今日も「希望の世界」へ。sakkyさんの名で書き込んだ。学校が始まって忙しくなったとか適当なことを書いた。
しばらくして更新ボタンを押すと渚さんが書き込んでいた。「学校も大変だよね。頑張ってね。」
大変なのは学校だけじゃないんだよ渚さん。病院でも、私生活でも、「希望の世界」ても。
三木の音沙汰は無い。このまま消えてくれればいいのに。消えてくれ。お願いだから。消えてよ。
結局僕に残ったのは「希望の世界」だけなのか。病院では変な奴に会っただけで仲間は得られなかった。
仲間になって欲しかった病院の人。なんで会ってくれないんだよ。ねぇ。なんで?僕の何がいけないの?
会うだけならいいなじゃないか。僕の話を聞いてくれるくらいいいでしょ?なんでだよ。何で断るんだよぅ。
三木?三木の仲間なのか?ここでも三木か。あの病院にも三木の手が回ってたのか。消えろって言ったのに。
たぶん学校にも既に奴の手は回ってる。別れを告げて正解だったかもしれない。
「希望の世界」には来てないくせに僕の現実世界を囲んできてるよどうにかしてくれよ誰に言ってるんだ僕は。
泣きたい。


9/7 雨

三木がとんでもないことを言ってやがる。

   ゲリラオフ会開催! 投稿者:三木  投稿日:09月07日(火)

     僕は以前までオフ会を否定してきましたが最近考えを改めました。
     ネットを超えてこそ見えてくるものがあるんじゃないかなって。
     「希望の世界」もいいけどやっぱり僕らが生きてるのは現実世界なワケですから。
     そこで企画したのがこの「ゲリラオフ会」です。
     厳密に言うと「ゲリラ」って言葉の使い方は間違ってるんですが
     このオフ会のイメージからそう名付けてみました。
     今からオフ会を開くぞって言ってもみんな来れるとは限らないと思います。
     それぞれ都合の良い日悪い日を言ってたらきりがないですよね。
     そこで、今回はすでに日程を場所を決めてしまいました。
     出欠は敢えて問いません。というより、来るか来ないかなるべく言わないようにしましょうよ。
     その日、その場所で待ってはいるものの、誰が来るかわからない。そこが面白いんですよ。
     「希望の世界」は実際書き込まずにROMってる人も多いみたいですから
     待つ側にとってはかなりドキドキでしょう。いきなり知らない人が来て
     「実はずっと見てました」ってこともあり得るわけです。
     勿論それもオッケーですよ。見てる皆さんも是非来て下さいね!
     さて、詳細はこちらです。

       日時 9月15日(水) 午後1時
       場所 横浜駅西口東横線改札前

     待つ時間は1時間。午後2時になった時点で来てない人は欠席とみなします。
     人が多いですから何か目印を考えなきゃいけませんね。
     関東地方に住んでない人は「残念!」って事で。
     基本的には「地元民トーク限定チャット」で知り合った仲だから大丈夫だとは思うんですが。
     細かいことは追って書き込みます。
     でわでわ、参加お待ちしてます!

何考えてるんだ。これは、僕に対する挑戦状か?「来れるものなら来てみろ」とでも言いたいのか?
行けば間違いなく何か起きる。今回は遠巻きに見て帰るってわけにはいかない。
三木の姿を知らないんだから。そこに来てるのが三木であるのかもわからないんだから。
どうする?僕はどうすればいい?いや、答えはもう決まってるじゃないか。
行くしかないだろ。これで全てを終わらせることができるかもしれないんだ。
味方は、いない。けど、けど僕は・・・・・・・
行くしかないんだ。


Chapter:7 「オフ会」

9/9 晴れ

奴の要望通り、僕は「行く」とは書かず、参加をほのめかす書き込みをしておいた。
とうとう、直接会うことになるのか・・・・。それとも、ここまで煽っておいて奴自身は参加せずか?
いや、それは無いな。奴も僕の姿を確認したいはずだ。ハッキングだけでは僕の姿は見れないから。
なんとなくの想像はついてると思う。中三の男。これだけで有る程度の姿は見当がつく。
僕は自分でも思ってるんだけど中学生らしい体格をしている。そんなに育ち過ぎもせず、幼すぎもせず。
鏡を見るたびにまだ子供っぽさが残ってるのがわかる。年相応、といった所かな。
日頃から「誰がどう見ても僕は中学生に見えるんだろうな」と思っているけど、それがはずれた試しは無い。
つまり、平凡なんだ僕は。15には見えないくらい大人びていれば、騙しようもあったかもしれないのに。
池袋で事件があったらしい。通り魔殺人。二人死亡。酷い話だ。
僕は狂っているけど人殺しはできない。する勇気が無い。勇気があればできるってわけでもない。
そう思っている。僕は、人殺しは、しない。何度も確認するように呟いてみた。
だけどそれは、言えば言うほど非現実的な響きを持っているように感じてくる。人殺しするほど狂ってないよ。
駄目だ。何度言っても虚しく響き渡るだけだ。僕は、人殺しはしないと言ってる自分が信じられない。
信じてやれよ。他心を信じられないのはわかる。だけど自分くらいは信じてやれよ。
そう言うお前が僕を信じてやれよ。自分に対して言ってるんだろ?僕は僕にとって他人じゃないだろ?
お前誰に向かって話してるんだ?僕だろ?僕が僕に向かって話しかけてるんだろ?自分が自分に?
おい待てよ。僕は僕だ。お前は誰だ?なるほど、お前も僕か。ちょっと待て僕が二人いるじゃないか?
二人だけじゃないって?何言ってるんだ。僕の身体は一つだぞ。僕の身体だ。お前の身体だ。もう一人の奴の
ぁぁぁぁぁぁ


9/10 晴れ

オフ会の為に用意しなくちゃいけないものは何だろう。ナイフ。何故?
僕自身ナイフを突きつけられた事があるからだ。sakkyさんに。今度は僕が突きつける番だ。
三木に僕の決意を見せてやれ。何も殺すことはない。僕の時の様に殺すだけで良いんだ。違う。
脅すだけでいいんだ。脅すだけだ。僕は逃げたけど三木は逃がさない。逃がさないで誓わせる。
二度と僕につきまとわないと。
ナイフを持っていくのはそれだけじゃない。護身用でもある。三木は何をしてくるかわからないんだから。
力ずくで何かしようとするのなら、抵抗するには何か武器が必要だ。何も持たないのは無防備すぎる。
逆に、何かしてくるようなら遠慮なくナイフを使え。殺したって構わない。だから違うって。脅すだけだって。
僕は別に世間のみんなをアホだと思ってない。アホは殺すべきだとも思わない。永井美奈子も素敵だと思う。
三木は殺すべきだとは思うけど。奴が死んだところで悲しむ奴はいないだろ。でも殺せない。
殺せば僕は殺人容疑で逮捕されてしまう。一生罪を背負って生きなければならない。そんなのイヤだ。
この年で人生終わらせるなんて、僕は嫌だ。だからナイフは脅すだけ。少しくらいなら傷つけたっていいかも。
それは傷害罪だ。同じように罪になる。でもそれくらいなら奴が訴えなければなんとかなるかもしれないな。
僕が今考えてるのは危険な事なのかな?「希望の世界」に行ってみる。書き込んでみる。
ほら、マトモなこと書いてるじゃないか。これで安心できたね。安心して危険な事を考えられるね。
よくわからないね。


9/11 晴れ

ナイフを光にかざしてみた。刃の部分がキラリと光ってる。丁度僕の胸の辺りに影ができた。
手の平に押しつけてみる。痛くなったので皮膚が切れる前にやめた。切れ味はあまり鋭くないのかもしれない。
パソコンの画面の縁に突き立てた。カリっと音がして塗装が少し剥げ落ちた。使うなら突き刺した方がいい。
紙を切り裂く時音が出た。画面に突き立てた時も音が出た。人を刺しても音は出るのだろうか。
きっとおぞましい音が出るんだろう。刺された人は悲鳴をあげる。ナイフが皮膚を突き破る音と悲鳴。
僕には想像もできない。4日後、僕はその音を聞いてるのだろうか。どんな気分で聞いてるんだろう。
ナイフは使わないかもしれない。何も起きなければ使う必要はない。ナイフはずっと僕のポケットの中に。
三木に会えなければ何も起こらない。会えてしまったら確実に何かは起こる。僕がナイフを突きつける。
少し前バタフライナイフを使った少年犯罪が起きて問題になった。僕のナイフはそんなにいいものじゃない。
池袋の事件は無差別だった。僕の相手は三木だけだ。無意味に人を傷つけたりはしない。
こうして他人と比較して何になるんだろう。何を言った所で僕は三木にナイフを突きつけるつもりでいる。
決定は変わらない。変えるつもりもない。できることなら三木を刺してしまいたいとも思ってる。
僕は三木に会いたいと思うと同時に会いたくないとも思ってる。会えば、刺してしまいそうだから。
刺してしまうと僕の人生は終わる。それは嫌だ。だけど三木は消して欲しい。僕の手で消したい。
僕を狂わせた張本人を僕の手で葬れば僕は解放される。ただがハッキングされたくらいで殺すのか?
ハッキングは問題じゃない。問題は、僕を狂わせた、という事。
そうだろ?


9/12 晴れ

藤沢の病院からの帰り道、僕は足を延ばして横浜まで出てみた。
横浜駅西口東横線改札前。日曜だけあって人はごった返していた。
駅ビルに通じるエスカレーターの前では肌の黒いお兄さんやお姉さんが座り込んでる。
3日後、また僕はそこに行くことになる。人混みの中、僕はポケットの中のナイフを握りしめた。
ポケットから手を出すと少し切れてた。血がにじみ出る。昨日は切れなかったのに。
舌先で舐めてみると鉄っぽい味がした。子供の頃は傷ができるといつも舐めていた。血はいつも同じ味だった。
昔よく家族で高島屋に来てた。一人で行ったのは今日が始めてかもしれない。何もかもが変わってる気がする。
冷房が効きすぎてるせいで寒くなってきた。下に降りるエレベーターの中で僕は一人震えてた。
以前友達とビブレに買い物に行ったことがある。ベイスターズの優勝記念セールをやってた時だ。
親が買ってきた服ばかり着てた僕にはちょっとした冒険気分だった。その時初めて自分の金で服を買った。
今日、僕はその服を着てる。僕が正常だった時に選んだ服。友達にもセンスがいいと誉められた。
親には変なデザインだって言われたのを覚えてる。しばらく親が嫌いになった。
その頃親に「インターネットでどんな事をしてるのか」と聞かれて、うるさいなぁ僕の勝手だろって答えた。
親は僕のパソコンに干渉しなくなった。
僕がカイザー・ソゼである事を親は知らない。三木に狂わされた事も。「希望の世界」にもう一人の僕が居る事も。
ポケットの中のナイフは冷房のせいですっかり冷たくなっていた。高島屋から出た後も、僕はしばらく震えていた。
震えは家に帰っても止まらなかった。


9/13 晴れ

もう虫の声は聞こえなくなっていた。何時から聞こえなくなってたのかは覚えてない。
病院でまた例の男が話しかけてきた。ニヤニヤしたその笑い方がとても不愉快だった。
ねぇ知ってる?僕ね、オクダって呼ばれてるんだよ。本当は違う名前なのに変な女が僕をそう呼んでたんだよ。
僕はカイザー・ソゼ。格好いい名前だね。誰に付けて貰ったの?自分で考えたの?
僕はsakky。え?何?もう一回言ってよ。さっきと名前は違うじゃないか。それにその名前なんか嫌な感じ。
僕は     。オクダはまた泣きじゃくって何処かへ消えた。
僕は考えるのを止めることにした。オフ会まであと2日。三木の事も学校の事も病院の事も考えるのを止めた。
外は暑くて僕の着たシャツは汗でびしょびしょになった。何度もハンカチで拭っても汗は流れ続けた。
シャツが身体にぴったりとくっついて気持ち悪いかったのでシャツを脱いだ。電車の中だった。
周りの人が変な目で見る。僕はあわてて服を着た。汗まみれの服はさらに気持ち悪く感じた。
ナイフは机の引き出しの中に入れっぱなしだったからそこで振り回すことは出来なかった。
夜になってテレホーダイの時間になったらネットに繋いだ。
三木が新しい発言をしていた。

   ゲリラオフ会追伸 投稿者:三木  投稿日:09月13日(月)

     当日は何か目印があった方がいいですね。
     来たはいいけどお互い誰か誰だかわかんないってなるのは困りますから(笑)。
     何か無いかと考えた結果・・・・・
     昔、僕の友達が聞いてたラジオの話なんですけど(聞くように誘われたけど私は聞かなかった)
     ラジオを聴いてる証としてベルを付けるって言ってました。
     そこで、私たちもベルを付けるってのはどうでしょう?
     ハンズとかのアクセサリーコーナーで売ってると思います。
     そのラジオが今どうなってるのか知りませんが
     ベルつけて歩いてる人なんてみなさん見たことないでしょ?
     結構良い案だと思うんですが。
     他にもっと良い案があれば書き込みお願いします。
     無いようならベルでいきましょう。時間も無い事ですし。
     でわ。明後日をお楽しみに〜

明日東急ハンズでベルを買ってこよう。


9/14 曇り

ベルを振るとチリチリと貧相な音がした。鞄に付けて歩いてみるとまたチリチリ鳴った。
もうオフ会は明日に迫ってる。ナイフはここにある。今日は手に押しつけても切れなかった。
服装はどうしようかと悩んだ。明日も暑いだろうからTシャツを着ることにした。
黄色いTシャツと紺のジーンズ。灰色の帽子。あまり人に顔を見られたくないから帽子をかぶる。
午後1時。横浜駅西口東横線改札前。ベルを持った人を待つ。それ以上の事は考えない。
もういい。そこで何が起こるのか僕は知らない。知った後、どうなるのかもわからない。
明日はネットの中にいる僕と現実の僕とが一つになる。もう戻れない。
鈍い光を放っているナイフはキーボードの横に置いてある。刃は相変わらず冷たい。
手首に添えてみた。切れるわけがなかった。死んでどうなる。死にたくない。
明日の夜も僕はこうしてパソコンの前に座ってるんだろうか。明日の日記はちゃんと書けるのだろうか。
知らない。もう何も知らない。知ることが、できない。全ては明日わかることだ。
今は何も見えない。


Chapter:8 「夢」

9/26 灰色

今日やっと退院できた。
やっぱり頭の怪我ってのは大したことなさそうでも精密検査やらで時間がかかる。
病院のベッドで目が覚めるまで、とても長い夢を見た。恐ろしいほどリアルな夢だった。
日記。日記を書かないと。あれからもう10日経ってる。あの日に起きた事、書かないと。
9月15日のオフ会。あんな夢を見たのもオフ会に行ったからだ。
そこであんな目にあったからだ。

あの日、僕は予定通り黄色いTシャツと紺のジーンズ、灰色の帽子をかぶって出かけた。ベルも持って。
ポケットにはナイフを入れて置いた。JRを使って横浜へ。休日の電車はガキが多くて嫌だった。
オフ会n集合時間は午後1時。僕は12時半には横浜に着いていた。
鞄に付けたベルがチリチリなってうるさかった。駅の構内は人が多くて暑かった。汗が出ていた。
JRの改札を出て東横線の改札へ向かった。とりあえず行ってみて、誰もいなければブラブラしてるつもりだった。
東横線の改札に行くには階段を上らなきゃいけない。時間は早いけど誰かいるかもしれない。
ポケットのナイフを握ってみた。ぬるかった。ネルは相変わらずうるさい。階段に向かった。
階段を上ろうとしたとき、知らない男に話しかけられた。ベルをつけてた。
「ねぇ君、そのベルさ。もしかして『希望の世界』の人?」
20代後半くらいの男だった。30過ぎてると言われても違和感無い。太り気味で眼鏡をかけてた。
そうですけど、と答えた。こんなに早く出会う事になるとは思わなかったので少しとまどった。
「良かった!僕もね、そうなんだよ。オフ会に来たんだよ。まだ時間早いけど。」
ぼくはまたそうですね、と答えた。誰なんだろう。この男はネットでは何と名乗ってるんだろう。
「あの・・・名前は・・・?」僕はそいつに向かって聞いてみた。
「ああごめんごめん。自己紹介してなかったね。僕はね、昔よく書き込んでた『えんどうまめ』だよ。」
いきなりその名前が出てきて驚いた。何故今頃「えんどうまめ」さんが?今まで何やってたんだ?
「あ、ここで喋ってると邪魔だからちょっと端に行こうよ。」
確かに階段のは人通りが激しく、僕たちは結構邪魔になってた。だから端に寄った。逆側の、端に。
えんどうまめさんは「『希望の世界』ご一行行きマース」と叫んでベルを振りかざしながら歩いていった。
わざわざエスカレーターの下を横切って東横線改札のすぐ下から逆側の端に寄っていった。
ベルをかざすえんどうまめさんの姿を何人かはチラリと見たけどほとんどの人が無視してた。
僕は恥ずかしかったけどなんとかえんどうまめさんの後ろについていった。
「それでさ、君は?」
僕は拍子抜けした声で「は?」と答えた。
「だから、君のハンドルネームだよ。あそこじゃ何て名乗ってるの?」
僕はここで初めて自分が何と名乗るか考えてなかった事に気がついた。三木が直接来ると思ったから。
まさかえんどうまめさんが来るとは思わなかったから。僕には、堂々と名乗れる名前が無かった。
だからと言って答えないわけには行かなかった。仕方なく僕は答えた。
「K.アザミ」
えんどうまめさんは驚いた顔をして僕を見た。「えー!女の子だと思ってたよぉ!」
すいません、と僕は下を向いた。えんどうまめさんは歩き出していた。
「びっくりだよーびっくりだよー僕もずっとROMってた身だからそんなに人の事言えないけどさぁ」
僕は何も言わなかった。えんどうまめさんは階段を上ってる。僕も横に並んで歩いた。
駅の西口を歩いてた。東横線改札口は前を通ることなく過ぎてた。
「でもねぇその気持ちわかるよ。うん。男ってさぁやっぱ女に憧れるワケじゃん?ねぇ?」
僕はこれで3回目となる「そうですね」のセリフを言った。
西口の地下街へ抜ける階段を横に見ながらモアーズの方に歩いてた。
僕はえんどうまめさんについていってるだけだった。東横線の改札は人混みに邪魔されて見えなかった。
「女のキャラを演じるのってさぁなんかね。イイんだよね。あ、君ってさ、中学生?」
はい。中学3年生です。素直に答えてた。
モアーズの横まで来てる。この人は何処に行くんだろう。そんな事を考えてるとモアーズの横を通り過ぎた。
「ところでさぁ他の人たちってどんな人なんだろうね。どう思う?ねぇ。ねぇ」
居酒屋等がある雑居ビルが並んでる裏路地っぽい所を歩いてた。
「他の人?」と僕はおうむ返しに聞いた。
「そうそうそうそうそうそう他の人他の人他の人。特にさささsakkyさんについてはどう思いますか?」
工事中のフェンスに囲まれる狭い道に入った。僕たち以外誰もいない。えんどうまめさんは立ち止まった。
「どう思いますか?ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇぇぇ」
「sakkyさんは・・・別に・・・・僕は」僕は突き飛ばされた。固いフェンスに頭をぶつけた。一瞬クラっとした。
「何が別にだよぉぉぉぉぉぉぉお前がぁぁぁぁお前がぁぁぁぁsサキの名前を使うなよぉおおお」
僕はポケットのナイフを握りしめていた。固く、固く握った。
「お前中学生なんだろ?わかってんだようお前がカイザー・ソゼだろ違うのか違うのか?」
一瞬ヤツの顔が曇った。違ったらどうしよう、と思ってるんだな。でも、正解だ。
僕もその時わかった。えんどうまめが三木だ。目の前に居るヤツが、三木だ。
僕はまた突き飛ばされた。鞄のベルがとれてチリチリと鳴りながら落っこちた。
「お前が変な事するからサキちゃんいなくなっちゃったじゃないかよぉお前が悪いんだぞお前がお前が」
「ちょっと!何してるのよ!」
女の人が路地に入ってきた。三木はぅぅぅと唸って、逃げた。女の人は倒れた僕に走り寄った。
「悪いけどそこで立ち聞きしてたわ。確認するけど、あなたはカイザー・ソゼで、sakkyの名を騙ってたのね?」
はい。そうです。あなたは誰です?どうしてここが?
「私は本当の三木。あいつは、たぶん悪さをしてる方のニセモノの三木。あいつ、何か言ってた?」
えんどうまめって名乗ってました。どうしてここが?
「本当?確かにえんどうまめって言ったのね?」
本当です。どうしてここが?
「なんであいつが・・・」
どうしてここが?
「あれだけ大声で叫ばれちゃわかるわよ。私も改札前に行く途中だったから。」
どうしてここが?
「それで、あなた達をつけたの。話は聞こえなかったけど、この工事中の路地に入ってからは静かだったから。
 そこの門にいたら話が聞こえるようになったよ。あいつがカイザー・ソゼって叫んでるあたりから聞いてた。」
「あ!あいつあっちで私達見てる!」
僕、今ナイフ持ってるんですけど
「また逃げた!私、あいつを今から追ってくる!」
僕まだナイフ握ったままなんです
「何言ってるの?まぁいいわ。あなたはこれ見て自分のしてきた事の重さを知りなさい!」
フロッピー・ディスクですね
「私の本名はワタベミキ。あなたは?」
K.アザミ
「やば!あいつ見えなくなっちゃった。じゃ、私行くね!その中身、ちゃんと読むのよ!」
もう走り始めてますね
「それ読んで、自分のやるべき事を考えなさい!」
ワタベさん行っちゃった。
ナイフ、握ったままなんですけど。ねぇ、ナイフ。ポケットの中で、僕ナイフ握ってます。握ってました。
僕は立ち上がり、来た道を戻った。頭が痛かった。
午後1時5分。僕は東横線改札前を通った。僕にはベルは無かった。他につけてる人も見あたらなかった。
切符を買って改札をくぐり、階段を上ってホームに着いた。電車が来てたので乗った。僕は家に帰った。
家につくと僕は自分の部屋に戻った。ナイフは握りっぱなしだった。机にしまった。フロッピーもしまった。
ここで、僕の記憶はとぎれた。
たぶんフェンスに頭をぶつけたときの打ち所が悪かったんだと思う。それから3日以上、僕は眠り続けた。
妙な夢を見た。いや、夢と呼ぶにはあまりにリアルすぎる。

そこは妙にあかるい場所だった。僕は黒いコートに黒い帽子をかぶり、金の腕時計をしてた。
映画で見たカイザー・ソゼの格好そのままだった。僕は自分がカイザー・ソゼである事を認めた
色んな人が歩いてた。でも、老人はいなかった。みんな若い人たちばかりだ。
中には小学生っぽい女の子もいた。カッコイイお兄さんと一緒に会話しながら歩いていた。
しばらく見てると、二人は別れた。小学生の女の子が帰るそうだ。手を振りながら帰っていった。
カッコイイお兄さんは何処かにいってしまった。小学生の女の子を見ると、そこにはもう居なかった。
男の人が立ってるだけだった。その男の人は人混みの中に入っていって何か喋ってた。
とても楽しい話をしてるらしく、人だかりができた。離れていく人も居た。その人達は違う場所でかたまってた。
僕は別の場所へ歩いていった。誰かに会った。顔がよく見えないので誰だか分からなかった。
僕は女になってた。自分の顔は見えないのでどんな風になってるのかよく分からない。
顔がよく見えないその人も女の人っぽかった。僕に話しかけてる。何て言ってるのか聞こえた。「sakkyさん」
僕は自分がsakkyさんになってる事に気付いた。自分の顔がはやっぱり見えなかった。
僕たちは一緒になって話してた。僕と、顔の見えない人と、ワタベさんとで。
ワタベさんは話をするたびに顔がえんどうまめになったりした。何も喋らないと特徴のない男の顔になってた。
その顔がどんなものなのか思い出した。僕がイメージしてた三木の顔だ。
三木は顔のよく見えない女の人に近づこうとしてる。辿り着けなかった。何処にいるのかわかってない。
ワタベさんの顔になると簡単に近付くことができてる。えんどうまめになるとまた近づけなくなる。
いつのまにえんどうまめは離れた位置に座ってた。そこでずっと僕たちを見てた。
僕と顔の見えない女の人とワタベさんはずっとお話をしてた。

僕はベットで目が覚めた。それから数日間、精密検査やらで入院が長引いた。
僕は駅の階段で転んで頭をぶつけたと言った。親は僕の精神状態まで心配してた。
発作的に自分から転んだんじゃないかとまで疑ってた。さすがに僕もそこまではしない。
事故ということでみんな納得した。
久々に家に戻り、日記をつけてる。日記?これは日記だよ。僕が、僕の物語を綴ってる。
三木の事、ワタベさんの事、もらったフロッピー。今は何かを考えるような事はしたくない。
まだ夢見心地のままの僕。何がどうなってるのか、まだ把握しきれてない。
オフ会の時に吹いていた強い風ももうとっくに収まってる。
僕は頭を抱えて画面の前に座ってる。時々思い出しようにこの日記を書く。
この文章を書き終えたらまた僕は頭を抱える。痛い。頭が、痛い。
痛い・・・・。


- 第2章 再始動 -  完

第3章 「鎮魂歌」 へ。




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