カイザー日記 第3章 「鎮魂歌」
Chapter:9 「僕の日記」
9/29 雨
また頭痛が。退院してからもまだ僕の頭は痛み続ける。怪我のせいじゃない。
パソコンの画面の前で頭を抱える僕。マウスがラックにぶら下がったまま。
僕は、なんて愚かなことをしてたんだろう。全部自業自得だ。ノイローゼになるくらいじゃ償いきれない。
謝りたい。反省してることを伝えたい。でも、どうすればいい?
あの人の壮絶な人生を僕は踏みにじった。岩本早紀さん。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
ワタベさんからフロッピーを開いたのが二時間前。
そこに入ってた「僕の日記」。全てを読み終えたとき、僕は涙を流していた。
ワタベさんが言ってた。「これ見て自分のしてきた事の重さを知りなさい」って。
「希望の世界」は僕のモノなんて。バカだよ。僕は馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿
バカ
9/30 晴
久々に「希望の世界」に繋いでみた。ワタベさんが殺されてた。
僕はまた画面のの前でうずくまった。頭が痛んだ。痛みは今でも続いてる。
殺ったのはえんどうまめ、遠藤智久だ。そして、僕を狂わせたのも。僕もヘタしたら自殺してたかもしれない。
自殺するまで追い詰めたのなら、それは殺したのと同じだ。ワタベさん・・・・無念だっただろうな・・・。
けど、ヤツは何でこんなに動き回れるんだ?日記には警察に捕まったって書いてあるのに。
保釈金を積めば出れるとか聞いたことあるけど、それなのか?
いずれにしよ、このままヤツをのさばらせておくのは危険だ。
早紀さんに異常なほど愛情を注いでた。sakkyの名を騙っただけでも僕はターゲットにされてる。
sakky。早紀さん。あれからどうなったんだろう。生きてる?生きてるはず。死なないって感じてたんだから。
ワタベさん。そうだ、ワタベさんがあんなに動き回ったのは、早紀さんが生きてる証拠じゃないのか?
死んだ人の為に動くより、今生きてる・・・恐らくあまりマトモでは無い状態の早紀さん・・・・の為に・・・
動いてた、と考える方が納得できる。ああ、でも死んじゃった故に動き回ってるって可能性も・・・。
待て。ワタベさんはなんで「僕の日記」、早紀さんと早紀さんのお兄さんの日記を知ってるんだ?
そんな描写なかったぞ?何でだ。どうやって知ったんだ。どうやって?自力で探したのか?それとも誰かが?
誰かって・・・・渚さん。早紀さんのお母さんじゃないか。今も、「希望の世界」にいるじゃないか。
ワタベさんは早紀さんのお兄さんと深く関わってた。早紀さんのお母さんと知り合える事も可能だった!?
落ち着いて事態を把握しろ。ゆっくりでいいから、考えるんだ。
何が、どうなってるのか。
10/1 曇り
1日中考えてた。でも答えはでなかった。
僕がsakkyの名を騙ってる間、渚さんは特にその事には触れてこなかった。
ワザと何も知らないフリをしてたのか。それとも他に何か考えがあって・・・・考えって何だよ。
偽sakkyの正体を見極める為の罠でも張ってたのか?それはワタベさんがしてたじゃないか。
渚さんの行動の意味が僕にはわからない。僕が乗っ取った「希望の世界」は、明らかに以前のものとは違ってる。
三木も遠藤智久とワタベさんの二人が演じてた。となると、渚さんも他の誰かが?他の誰かって、誰?
なんだよ。意味ワカンナイよ。どうなってるんだよ。頭がこんがらがってきたよ。また痛むよ。畜生。
病院行っちゃったよ。藤沢の精神病院の方に。頭の痛みを取ってくれよ。
入院してた病院の方じゃ痛みが取れなかったんだよ。こっちなら痛み取ってくれると思ったからさ。
だから痛いんだって。痛いと思いこんでるだけだって?ふざけるなぁ
ねぇ先生。僕は頭が痛いんです。先生は医者でしょ?だからね。治して欲しいんです。
今日中には無理だって。また時間がかかるって。僕には時間が無いんだよ。僕はしなきゃいけないことが。
だってワタベさんが。自分のやるべき事考えろって。何かを。何か。何を。、mんぶあえほvにゅおふぁ
早紀さん。生きてるんですか?「希望の世界」は見てるんですか?
答えてよぅ
10/2 晴れ
今日も先生に相談した。自分が何をすればいいのかわからないんです。
たくさん考えなくちゃいけない事があるんです。先生も一緒に考えて下さいよ。ねぇ先生。先生。先生。
なんで怒るんですか。いい加減にしろなんて患者に言っちゃいけないですよ。先生、医者じゃないんですか?
パソコン使ってる患者さんの紹介もしてくれなかったじゃないですか。お前なんかに会わせられない?
酷いですよ。僕は患者ですよ。医者は患者にごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
もう変な事言いませんだからもう怒らないで下さい怖い怖い怖いコワイコワイ
オクダお前になんで謝る癖がついたのかわかったよ僕もそうなりそうだ
早紀さん希望の世界を取っちゃってごめんなさいワタベさん見殺しにしてごめんなさい
岩本亮平さんあなたの日記を読んでごめんなさい遠藤智久さんちくしょうお前には謝らないぞ
ワタベさん何故僕に早紀さんの日記を読ませたんですか僕にどうしろと言うんですか
遠藤智久も逃げやがったまたハッキングしてくるかなもしかしてワタベさんもハッキングされました?
僕と同じ方法で、狂わされた。自殺まで、追い詰められた。そうですね?
遠藤智久。全てヤツがいけないんだ。僕は・・・・僕がしなきゃいけない事って・・・
ワタベさん?
10/4 晴れ
ワタベさんからメールが来てた。あのアカウントのメールチェックをするのは久々だったから。気付かなかった。
それは、自殺直前に書かれたものらしかった。
こんにちわ。カイザー君。あなたがこのメールを読む頃、私はもうこの世にはいません。
なんでこんな事になっちゃったか・・・・それは私にもわかりません。
あの時、遠藤智久を追いかけなければ?オフ会に行かなければ?オフ会を企画しなければ?
言い始めたらキリがありません。結局、「希望の世界」に関わったのが全ての始まりだったのかもね。
それは、あなたも同じでしょ?何でこんな事に・・・・とか、考えた事あるでしょ?
お互いもう諦めましょうよ。もう戻れないのよ。私も。カイザー君も。
私は居なくなるけど、カイザー君にはやって欲しい事があるの。
もう「僕の日記」は読んだ?あのフロッピーに入ってたでしょ?
sakkyの名の重さ、わかったわよね。あの娘の壮絶な人生が詰まってるのよ。あの名前には。
あなたは遊び半分だったのかもしれないけどね。遊びで扱えるようなものだった?
罪の意識があるのなら・・・・その罪、償って。
sakkyを救って。あの娘はまだ生きてるよ。以前の記憶を失ってね。
遠藤智久の最終目標は彼女よ。
あなたにちょっかい出した(出されたんでしょ?)のは、sakkyの名を勝手に使ったから。
sakky宛にメールを送ればカイザー君に届くようにしちゃったから。そうでしょ?
間違ってもこのメールを奴に見られないでね。ハッキングにはくれぐれも気を付けて。
ハッキング、されてたんでしょ?私がされてカイザー君がされてないっ事は無いからね。
念のためにこのメールはすぐに消してくれる?
これから書く事メモしておいて。メモしたら、すぐメールを消すのよ。
早紀さんの居場所は
居場所は・・・・・居場所は・・・・・僕の・・・・・通ってる・・・・病院だった。
メールの最後は「最後にあなたの本名、知りたかったな。」と締めくくられてる。
早紀さんが、生きてる・・・。
10/6 晴れ
授業中、僕は震えていた。それは突然僕の心に沸いてきた。
オクダ。僕のが知ってる限り、オクダという名の人物は二人しかいない。
病院で知り合ったオクダと。「僕の日記」に出てきた早紀さんの元恋人、奥田徹。
以前病院のオクダは言ってた。
「ねぇ知ってる?僕ね、オクダって呼ばれてるんだよ。本当は違う名前なのに変な女が僕をそう呼んでたんだよ。」
変な女が奴をオクダと呼んだ。早紀さんは記憶を失ってあの病院にいる。恐らく、「中」の方だ。
オクダは以前「中」に居た。早紀さんも「中」に。他人をオクダと呼ぶ女の人。記憶を失ってる早紀さん。オクダ。
僕は頭が真っ白になるんじゃないかと思うくらい震えた。心配した先生が「大丈夫か?」と聞いてきた。
ちょっと気分が悪いんです。先生は僕を保健室に連れていってくれた。みんなも心配そうに僕を見てた。
保健室で熱を計ると37度6分だった。ほっとくとどんどん上がっていきそうな勢いだった。
風邪引いてるみたいだから家に帰った方がいいよと言われた。季節の変わり目には多いから、と付け加えて。
帰りの電車で、僕は身体が異様に熱を持ってきたのを感じながら一つの結論に達していた。
オクダは早紀さんと会ってる。
奴をオクダと呼んでいた女の人は早紀さんに違いない。記憶を無くしたからそんな風になってしまったんだ。
確固たる根拠は、無い。でも虫の声が聞こえてきそうだった。「その通りだ」って。
虫の声は聞こえない。けど僕にはどうしてもそれが間違えてるとは思えなかった。
何故早紀さんは奴をオクダと呼んだか?恋人の記憶にすがりついていたのか?
いや、「僕に日記」は虫の日記でもある。早紀さんに生まれたもう一人の人格。虫は、奥田徹を嫌ってた。
と言うより、早紀さんの兄である亮平さんが嫌ってた。イジメられてた。虫はその記憶を引き継いでるから・・・・・
どちらにしろ「オクダ」という名前に深い関わりを持ってる事には変わりない。
熱はまだ下がらない。日記を書くために起きてきたものの、体のだるさがとれない。
ああ、寝る前にもう一つ書くことがあった。僕がオクダと早紀さんが会ってるという直感が正しいと思う根拠。
根拠と言う程じゃないけど・・・・。虫。僕は以前虫の声を聞いた。そして「僕の日記」は、虫の記録。それだけだ。
僕の中の虫はもう消えたのかな。
Chapter:10 「オクダ」
10/9 曇り
風邪のせいで数日学校を休む羽目になった。今日はもう熱は引いてる。
病院に行ってオクダに会おうと思った。オクダの話が聞きたい。ベンチに座ってれば奴から話しかけてくるはず。
ずっと待ってた。ずっとベンチに座ってた。
オクダは来なかった。病院中探し回ってみたけど見つからなかった。
中へ入る為のドアの前に立った。前にこのドアを通れたのは偶然だった。誰かが出入りした時に横を駆け抜ける。
チャンスを待った。オクダに会えないのなら、直接早紀さんの所へ行くしかない。僕が中に入るんだ。
ドアが開く。僕は走り出した。入り口を通ってるのは僕の担当の先生とおばさんだった。
僕は構わず横を走り抜けようとした。でもダメだった。先生に肩を掴まれた。「何処に行くんだ」
行かせて下さい。中に入れて下さい。僕は必死になって頼んだ。涙も流していた。
先生から出てきた言葉は冷たかった。「どいつもこいつもわがまま言うな」
おばさんが哀れな目で僕を見てた。目が合った。おばさんは目を反らしたけど僕はずっと睨んでやった。
「さっさと帰れ」と先生に言われた。今日のカウンセリングも終わったしオクダにも会えない。中にも入れない。
もう病院に居る意味は無かった。
「希望の世界」に繋ぐと不思議な気分になる。三木の発言はない。
居るのは「K.アザミ」と渚さん。sakkyの名はもう使えない。使えるわけがない。
渚さんは早紀さんのお母さん、なのか?本当に?三木だって入れ替わってたんだぞ?sakkyだってそうだぞ?
今日も僕は進めなかった。
10/10 晴れ
オクダに会いに行きたかったけど病院は休みだった。今日は日曜日か。
今日はオクダに会うのを諦めた。他の方法で早紀さんへのアプローチを。
思い浮かんだのは「希望の世界」だった。僕にはもうこれしか残ってない。
渚さん。あなたが早紀さんのお母さんなのかはわからないけど、ここで頼れる人はあなたしかいないんです。
sakkyの名を勝手に使っても何も言わない渚さん。あなたか何者かわからないけど、これで最後にしますから。
sakkyの名前を使うのはこれで最後にしますから、答えて下さい。
僕は渚さんに直接メールを送った。掲示板に書くと遠藤智久に見られるから。
文章はとても単純。「早紀さんは今どうしてるんですか?」
送ってから自分が馬鹿げた文を書いてる事に気が付いた。もっと聞きたい事がたくさんあるのに僕は。
カイザー・ソゼの名前を使うべきだったかもしれない。そうせもうニセモノだとバレてるんだから。
何をやっても早紀さんは遠ざかっていくばかりだ。
しばらくしてからメールチェックをするともう返事が返ってきた。
「私は元気です。」
僕はここ数日で色んな情報を詰め込んできたので頭がうまくまわらない。
「僕の日記」を読んでからも僕の精神状態はかなりヤバくなってると思う。
渚さんからのメールは、僕の許容量を超えた。
他のあらゆる思考が何処かに飛んでいってしまった。唯一残った結論も疑いようがいくらでもある。
でも、僕には疑う為の思考が飛んでしまってる。だからそれを事実だと受け入れた。
渚さんが、早紀さんだ。
10/11 晴れ
一夜明けて、僕は思わず「希望の世界」に書き込んでしまった。カイザー・ソゼの名前を使って。
一言、「早紀さん、会いに行きます。」と。
絶対会ってやる。遠藤智久、見てるか?。見てようが構わない。僕の方が早紀さんに近い。
渚さんが早紀さんだというのは間違ってる推測かもしれないのは十分わかってる。
でもそんな事言ってたら進めないじゃないか。少しでも可能性を追え。僕にはそれしか道はない。
早紀さんは病院にいる。オクダが会ってる。僕はオクダを知ってる。あらゆる情報を駆使しろ。
もう戻れない。早紀さんに会ってその後どうなるのかなんて考えない。
どうやって遠藤智久を撃退するか?早紀さんを守りきれるか?そんなの、早紀さんに会ってから考えるんだ。
僕は自分を奮い立たせた。前へ進むための道は見えてる。ゴールだって見えてる。
行け。
10/12 晴れ
オクダはすぐに捕まった。ベンチに座って空を見つめていた。
僕と目が合うと奴は怯えて逃げだそうとした。僕は肩をつかんで引き留めた。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。オクダは今日も謝ってる。僕は言った。
「怖がるなって。僕もあの先生には怖い目にあったから。一緒に話そうよ。」
オクダはまだ僕を疑っていた。先生?先生はいい人だよ。優しいよ。素敵だよ。大好きだよ。
かわいそうに。僕がチクるとでも思ったんだろう。嘘ばっか言ってる。
「じゃあなんで僕の事を怖がるんだよ」
君の、名前が、嫌なんだ。無茶苦茶な言い訳だ。これ以上聞いてもマトモな返事は聞けない。
あまり多くの事を聞くとオクダは混乱してしまいそうだった。できるだけ簡単に、手短に、知りたい事を聞いてみた。
「君をオクダを呼ぶ変な女は中にいるの?」
うん。はい。そうです。中にいます。オクダはまた泣いていた。何度も何度も頷きながら泣きじゃくっていた。
オーケー。それでいい。早紀さんが中に居ることは確認できた。次は中に入るための手段を考えるんだ。
オクダは走って逃げていった。
中に入るか、あるいは中の早紀さんとリアルなコンタクトをとるためにオクダを利用しようと思ってたけど
あれじゃ使い物にならないな。後は強行突破か、スマートに面会を申し込むか。面会は・・・許可が必要か。
今日のところは引き上げよう。あまり強引にやるとこの前みたく失敗するに決まってる。
夕方、「希望の世界」に繋いで僕は自分の愚かさを呪った。今日のうちに早紀さんに会っておくべきだった。
早紀さんは病院の場所を掲示板に、よりによって掲示板に書き込んでいた。
思わず叫んだ。早紀さん。そんな事しなくてもいいんですよ。僕はもう知ってるんですから。そんな事したら・・・・
遠藤智久にお居場所がバレてしまうじゃないですか。
早紀さんは好意で書き込んだんだろう。でも、いや、僕が軽率な発言をしたせいだ。僕のせいだ。
もう悠長な事言ってられない。明日にでも会わなきゃ。奴から守ってあげなきゃ。
遠藤智久。頼むからこの発言は見ないでいてくれ。畜生。掲示板も乗っ取るべきだった。発言が消せない。くそ。
ああああああああ
10/13 晴れ
中への扉はいつもに増して重く見えた。思い切って入ろうとした矢先、先生に見つかった。
「そっちは行っちゃダメだぞ」といつもの優しい声で注意してきた。普段は優しいんだ。普段は。
僕は中に入りたいと言った。先生はちょっと顔をしまめて「なんで?」と言った。また口調は穏やかだ。
例の、パソコンを趣味にしてる患者さんに会いたいんです。
言った後で僕は自分の言葉に驚いていた。そうだ。その人が早紀さんだよ。パソコン。インターネット。渚さん。
何故気付かなかったんだ。僕は、ずっと前から早紀さんに会いたがってたんだ。
頭の霧が晴れていく気分だった。知らない内に笑ってた。僕は笑ってる。顔だけ、笑ってる。
先生の顔は明らかに強ばった。僕が笑ってるからじゃない。突然笑う人なんてここにはたくさん居る。
問題は、僕が早紀さんに会いたがっている、ということだった。
「なんで?」
声色が変わった。怖い。これだよ。僕が怯えたのは。この声が僕に恐怖心を植え付けた。
けど、もう怖がってはいられなかった。なんとしても早紀さんに会わなければならない。
とにかく会いたいんです。会わせて下さい。お願いです。
理由は説明できない。遠藤智久に狙われてる早紀さんを守るようワタベさんに頼まれた。マトモに聞くワケないよ。
会いたいんです。
先生は僕の肩を掴んだ。中の人とそんな簡単に面会させるわけにはいかない。諦めろ。いいな。諦めるんだ。
何故です。僕は食い下がった。前頼んだときは大丈夫そうだったじゃないですか。なんで今だとダメなんですか。
先生は少し黙ったあと、低い声でこう答えた。「君の態度だ。」
前はそんなにしつこくなかったよな。今は何だ?ワケもなく会いたいなんて言って。
あの子はな、見せ物じゃないんだ。軽く考えるな。好きで中にいるわけじゃないんだぞ。わかったか?
一通り言い終えてから、ようやく僕の肩が解放された。先生は少し反省してるみたいだった。
取り乱してすまなかった。けどな。君を中に入れる事はできない。これは決まりでもあるんだ。
僕はわかりました、と言ってその場を諦めた。
今日は駄目だった。でも僕にはもう次の手段が考えてあった。早紀さんが、僕に会いたいと言えばいいんだ。
早紀さんの方から頼まれれば先生も納得するはず。
僕は「希望の世界」に繋いで早紀さんに頼もうとした。先生を説得するように。頼もうと、した。
誰だ。これは誰だ。答えが分かってるにもかかわらず僕は叫んでしまった。誰なんだ。このカイザー・ソゼは!
僕じゃないカイザー・ソゼが早紀さんに会いに行くと言ってる。
遠藤智久。お前か。やっぱり見てたのか。見てたんだな。早紀さんの居場所がバレた。病院がバレた。
見つかった。
10/14 雨
先生はどうしても中に入れてくれなかった。
早紀さんがどう言ったのか聞いたけど答えてくれなかった。昨日、早紀さんに頼んでおいたのに・・・・。
早紀さんはちゃんと言ってくれたんだろうか。それすらもわからない。
僕が何を言っても聞いてくれない。先生が中に入れさせてくれない。
病院のロビー。突然笑う人や泣き出す人、沈痛な表情を浮かべてる人、普通っぽい人。
色々な人に囲まれて、僕はただ呆然と立ちすくんでいた。
オクダがやって来た。今日も怯えた顔で僕を見る。
突然紙袋を押しつけてきた。返したから。ちゃんと返したからね。ちょっと無いのは僕のせいじゃないよ。
誰かが持ってっちゃったんだ。僕悪くないよ。僕は返したからね。ちゃんと返したよ。
言うだけ言ったら逃げてしまった。残ったのは紙袋だけ。
中を見ると、泥だらけの人形が、バラバラになって入ってた。僕は思わず叫んだ。「何だよこれ」
頭は無い。
胴体がバラバラにされた人形。泥まみれ。なんで僕に。
それ以上考えても答えは見つかりそうになかったので帰った。バラバラ人形も連れて。
「希望の世界」に繋ぐ。早紀さんはちゃんと今日先生に頼んでおくと言ってた。
やっぱり先生が邪魔をしたんだ。頼まれてたのに無視しやがったんだ。
でも僕はそれほど落胆してなかった。僕がこんなに手間取ってるんだ。それは遠藤智久だって同じはず。
奴だってそんな簡単に早紀さんには会えないさ。先生に邪魔されるに決まってる。大丈夫。
まだ、大丈夫。
Chapter:11 「BATTLE」
10/15 雨
病院のロビー。
それは十分予想できた事だった。
でも僕は・・・・・背筋が冷たくなった。震えた。
遠藤智久が、とうとう病院に姿を現した。
入り口で奴の姿が見えた。僕は飛び上がるようにしてベンチを離れ、奥に隠れた。
奴はキョロキョロと中を見渡した後、受付に向かった。
そこでしばらく話をしてた。終わらない会話。口論になってた。
バカだ。普通に面会を申し込んで中に入れると思ってたのか。バカ過ぎる。どうしようもないバカだ。
口論が続く。いいぞ。もっと怒鳴れ。そして追い返されてしまえ。立ち入り禁止になってしまえ。
僕の願いとは裏腹に奴は大人しく諦めてしまった。その後しばらく病院内をウロウロしたけど、結局帰っていった。
けけけ。そんな簡単に早紀さんに会えれば僕だって苦労しないんだよ!
甘いんだよ!
10/16 曇り
また病院に。早紀さんに会えなくても僕には病院に行く正当な理由がある。
先生は嫌な奴だけどカウンセリングはきちんとこなす。と言っても僕は何も考えず答えてるけど。
アリガタイお話を聞いておしまい。どうせ早紀さんには会わせてくれないんだろ?
ただ、今日に限って言えば先生のその姿勢が僕を救ってくれた。
帰り際にロビーを見渡した。遠藤は来てないのかが気になった。
まさかそんな簡単に諦めるとは思えない。今日も来てる可能性も十分あり得る。そんな事を考えてた。
そして、奴は居た。
僕の背後に。
「カイザーくぅん」と気色悪いほど甘い声が僕の背中に突き刺さった。
僕は振り向けなかった。足がガクガク震えて身体を動かすことさえ出来なかった。
「早紀ちゃんにはどうやって会えばいいのかなぁ」
後ろに、居る。僕に話しかけてる。早紀さんに会う方法を聞いてる。
「ねぇ、カイザー・ソゼくぅぅん」
耳元で囁く。吐く息が、僕の首筋に・・・・コワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ
「なんでここに居るんですか」
かろうじて出たセリフがこれだった。答えは分かりきってるのに。
肩を掴まれた。ぐい、と引き寄せられて、僕の身体は反転した。強制的に後ろを向かされた。対面。
・・・・・・奴は笑ってた。
「なんでって?そりゃ早紀ちゃんに会うためだよ。僕らはね。愛し合ってるんだ。会うのが当然なんだよ。
なのに会えないんだ。おかしいよね。おかしいんだよ。僕は早紀ちゃんと一緒にならなきゃ」
「警察に捕まってたんじゃないんですか。人を、刺したんじゃないんですか」
言ってしまった。話を遮られた奴は口を開けたまま僕をじっと見た。異常なほど晴れやかな笑顔になった。
「良く知ってるねそんな事!でも僕は刺してないよよけやがったんだあのニセモノ。
それにね。あそこはね、そうゆう店なんだよ。ちょっとやりすぎて問題になっただけ。そうゆう事になってるんだよ。
早紀ちゃん、冗談のつもりだったらしいけど、ちょこっとカゲキだったかな。お仕置きも必要だったりしてウフウフ」
僕は逃げ出した。
後ろで大きな叫び声が聞こえた。逃げろ。今はとにかく逃げるんだ。今後は違う叫び声が聞こえた。
振り返ると、先生が遠藤を引き留めていた。怒られてやがる。そうか。バカだ。大声がしたから説教されてんだ。
融通のきかない先生。こんな時に役に立ってくれるなんて。
とにかく僕は逃げ切った。
10/17 晴れ
さすがに今日は病院に行けなかった。それに今日は日曜日だし。家で大人しくしてた。昨日の事を思い出した。
遠藤智久の言ってた事。「あそこはね。そうゆう店なんだよ。」
なんとなくだけど奴が警察から解放された理由がわかった。早紀さんが見つけた風俗店。
そうゆう店なんだよ、か。ナイフはちょっとやりすぎ。ナイフは。・・・・・SMクラブか・・・・。
僕はバラバラ人形を取り出して眺めてみた。これが人間だったら、なんて考えてみた。SMどころじゃないな。
人形、というよりヌイグルミか。これは。千切れた部分から綿が出放題になってる。
綿には砂が混じってて汚らしい。左手。右手。左足。右足。胴体。・・・・頭だけが無い。
オクダはなんで僕にこんなものを渡したんだろう。「返したから」って。わけがわからない。
オクダは何故か僕に怯えてた。それが何か関係が?僕の名前が怖いって?カッコイイ名前じゃないか。
わからないことが多すぎる。だから今はもう考えない。今は、早紀さんに会う事だけを考えろ。
早紀さんの事だけを。
10/18 曇り
今日は病院で、遠藤智久のかわりに変な女の人に会った。
その人はベンチに座ってた。普段なら気付かない。気付くわけないんだ。でも、思わず見てしまった。
ベルが・・・・・・ベルの音が聞こえたから。
あのオフ会でつけてくる約束だったベル。音が鳴った方を見ると、その女の人が座ってた。
僕が買ったのと似たようなタイプだ。右手に持ってチリチリ鳴らしてる。
僕はふらふらと近づいた。もう何も考えてなかった。何かを考えるなんて無理だ。
女の人と目があった。他の人は誰もベルの音なんて気にしてない。当たり前だ。ベルの音なんて誰が気にする?
お互い目を反らさなかった。女の人はベルをかざしてまたチリチリ鳴らした。僕はじっとベルを見た。
女の人が立ち上がった。僕に近づく。そして、言った。
「カイザー・ソゼ君?」
僕は黙って頷いた。僕に何が言える。この人は間違いなく、ベルの持つ意味を知ってる。
女の人も黙って頷き、僕の肩をぽん、と叩いた。
「がんばってね」
それだけ言うと行ってしまった。
昨日と同じだ。わからない事が多すぎる。だから今は考えるな。考えたって無駄だ。どうせわかりゃしない。
早紀さん。あなたに会おうとすると、何故こんなにわけのわからない事ばかり・・・・巻き込まれるんでしょう?
早く会いたい。会って、それからゆっくり考えたい。
早紀さん・・・。
10/19 雨
昨日いた謎の女の人はもう姿を見せなかった。全く知らない女の人。誰だったんだろう・・・・。
僕は彼女が座ってたベンチに座ってみた。何も起きない。座ってるだけでは早紀さんに会えない。
それからどれだけの時間そこに座ってたんだろう。気付いた時には・・・・・目の前に・・・・奴が立ってた。
遠藤智久。笑ってる。僕の隣に座ってきた。
「ねぇ、早紀ちゃんに会う方法を思いついたよ。」
僕だって考えてある。
「中に入ればいいんだ。簡単な事だよね。」
バカか?それができないから、困ってるんじゃないか。
耳元で奴が囁くたびに、体中が震えた。息が耳にかかる。おぞましい吐息が耳を這う。
「カンタンなんだよ」
耳の中に湿っぽい空気が入り込んだ。悪寒が。
僕は立ち上がった。出口へ向かって走り出した。
奴は追ってこなかった。その代わりに、僕の背中に向かって叫び声を上げていた。
「ねぇ、明日も来なよ。実践してあげるよ!」
うるさい。僕はそう思った。
明日か。遠藤、お前が中に入るようなら、僕は全力で阻止する。
机の中のナイフを取り出した。刃を蛍光灯にかざすと相変わらずの輝きを見せた。
今度こそ、使うことになるかも。
10/20 雨
病院のベンチ。いつもの場所で僕は待ってた。オフ会の時のように、ポケットの中でナイフを握って。
1時間も待たないうちに、奴が来た。相変わらずニヤニヤ笑いながら近づいてきた。
「やあ。来たね来たね。昨日僕が言った事覚えてる?ねぇ覚えてる?」
覚えてる。カンタンに中に入る方法があるんだって?
「そうそうそうそうそうそう。それを今から実践しようと思ってるんだ。早紀ちゃんに会えるんだよいいでしょ。」
で、どうやるんだよ。
奴はウフウフ言いながら僕の顔をじっと見た。どうやるんだよ。僕はまた聞いた。奴は答えなかった。
ずっとウフウフウフウフ言って僕の顔を見つめる。ニヤニヤした顔がとてつもなく気持ち悪い。
それから数分が経った。うふふふふふふふふふふふと笑い声が大きくなった。
そして、僕を殴った。
僕は床に倒れ込んだ。また殴った。笑ってる。笑ったまま殴ってる。ウフウフという息づかいが耳に響く。
立ち上がろうとすると蹴ってきた。足を蹴られた。バランスを崩してまた床に倒れ込む。
何発も殴られながら、僕はポケットに手を入れた。ナイフだ。今が、使う時だ。
殺せ。
先生達が駆け寄ってくる。誰かが叫んだ。それに呼応してみんなが次々と叫び声を上げた。
遠藤はまだ僕を殴ろうとしてる。うふうふと笑いながら、拳を振り上げた。
僕はナイフをを取り出した。コロセ
刃が光った。
あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛ぁあ゛あ゛あ゛ぁぁぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
奴の悲鳴がこだまする。
床に倒れ、足をバタバタさせていた。腕を床に何度も叩きつけた。悲鳴は続く。
ごろごろと転がりながら奇声を発した。意味不明の言葉を喋りだした。
先生たちが取り押さえようとしたけど奴は暴れて抵抗した。
・・・・・・何が起きたんだ。僕は状況を把握できていなかった。
僕は、刺さなかった。刺そうとした瞬間、奴が勝手に悲鳴をあげたんだ。
僕はあわててナイフをしまい、事の成り行きを眺めた。誰かが僕に大丈夫ですかと聞いた。大丈夫ですと答えた。
数人がかりでようやく取り押さえる事ができた。奴はおとなしくなり、何かブツブツと独り言を言ってた。
そして・・・・・・・・そして、中へ連れて行かれた。
僕はここで初めて、奴の行動を理解することが出来た。本当だ。本当にカンタンだった。
中に入るには・・・・・そう、狂ってしまえばいいんだ。奴のように。
周りが落ち着きを取り戻したあとも、僕はしばらくベンチでうなだれていた。
僕の頭の中はこの事で頭がいっぱいだった。
先を越された。
Chapter:12 「中へ」
10/23 晴れ
一昨日、病院に行っても何も出来ず。日記を書くのに値しない日。
昨日、病院に行っても何も出来ず。日記を書くのに値しない日。
今日、病院に行って何も出来ず。でも、進展はあった。
悪い方に。
先生に言われた。「君はもうカウンセリング受ける必要ないんじゃないかな。」
それはつまり、僕はもう狂ってないという事ですか?
「表現はあまり良くないけど・・・・まぁそうゆう事だね。」
もう来るなって事ですか?
「来るなとは言わないよ。来る必要がない、というだけなんだ。」
狂ったフリして中に入ろうとしても無駄だよって事ですね
「ん?何?」
中に入れてたまるかって思ってるんですね
「やけに中にこだわるな。君は中に入る必要もないし、勝手に入れるわけにもいかない。前にも言っただろ。」
僕を野放しにしておくのは危険ですよ
「自分で言えるなら平気だ。中はそんなもんじゃない。」
危険ですよ
「もう中にこだわるのは止めなさい。」
・・・・
僕は狂ったフリをして中に入るのを諦めた。けど、中に入る事自体諦めたわけじゃない。
遠藤智久。奴はもう早紀さんを見つけたのか?中の事は外じゃわからない。
そして僕は、焦れば焦るほど悪い方へ進んでいく。
駄目だ・・・
10/24 晴れ
今日も病院にベルの女の人が。声をかけられました。
「カイザー君、遠藤智久ってどうなったの?」
いきなり聞いてきたのでびっくりしました。色々質問したいのは僕の方なのに。
僕は奴が中に入った事、入った方法を説明しました。
「ふぅん。」と拍子抜けした声で返事をしてます。こんな重大な事態でよくそんな。
この人は、誰だか知らないけど「希望の世界」の関係者のはずだ。早紀さんの事も知ってるんだろ?
「じゃあカイザー君も急がなきゃね。」
全然緊迫感の無い声。本当に、この人は誰なんだ?
あなた何者なんですか?僕は聞いた。
「そのうち、ね。」とはぐらかされてた。そしてそのまま帰ってしまった。
わけがわからない。遠藤が中で何をやってるのかもわからないし、中に入る事も止められてる。
僕の作戦も破れたっぽいし、他に名案もナシ。早紀さんへの道が、無い。
僕は何処へ進めばいいんだ。
10/25 曇り
遠藤智久のように、本当に狂ってしまうしか道はないのか。
虫が僕の中に居たころ、僕は間違いなく狂ってた。もう1度あの状態に。いや、それ以上になれば・・・
虫。何処へ行ってしまったんだ。いつの間にか消えてしまった。
もう1度、戻ってきてくれ。そして、僕を中へ導いてくれ!
時間がないんだ。奴が早紀さんに会う前に。いや、もう会ってるかもしれない。
とにかく、早く中に入りたいんだ。力を貸してくれよ。
助けてくれよ。誰でもいいから。頼むから。
早紀さんに会わせてくれ・・・
10/26 晴れ
虫はもう、僕の中に舞い降りてはこなかった。
これは運命なのかもしれない。僕に早紀さんを守る事なんかできないと、あらかじめ決まってたのかもしれない。
あるいは「お前に早紀を守る力はない」と神様が教えてくれてるのかも。力のない者は中には入れないと・・・
そんな僕のあきらめが光を呼んだんだろうか。道が、開けた。
ずっと、ずっと待ち望んでいた状態が僕の目の前に。
中への扉が開き、人が通る。先生たちがすれ違う。僕の担当の・・・・名前は知らないけど、あの先生はいない。
僕はベンチから立ち上がった。ゆっくりと扉に向かう。ロビーからは離れた所にあるこの通路では人気が少ない。
だから無理矢理中に入ろうとすると目立ってすぐにバレる。ただでさえここのベンチに座ってると気まずいんだ。
僕は目立つのを嫌っていつもはロビーのベンチに居る。でも、今日に限って僕はこっちにいた。
中に入ることを諦めていた僕は、もうなりふり構わずこっちのベンチに座ってた。そしたら、道が開けたんだ。
偶然じゃない。僕は導かれてる。そう思った。
何人かが扉が開いたまますれ違う。中に入る先生の後ろをゆっくりとついていく。
先生が中に入る。僕はまだ入らない。外から出てくる先生が。ここだ。この瞬間を待ってたんだ。
僕は中へ入った。外から出てくる先生は僕がずっとベンチに座ってた不審人物だとは知らない。
親切に扉を押さえててくれてる。僕は軽く会釈をして、当たり前の様な顔をして、中を進んだ。
僕は扉を監視してる警備員の人が気付いてない事を祈った。
僕は不思議と迷う気がしなかった。僕は導かれてるんだから、早紀さんの所へ辿り着けるはず。
虫が、飛んでいた。僕はその後を追った。そうか。お前が僕を導いてくれたのか。
ふと遠藤智久の事を思い出した。奴に会うかもしれない。でも、平気だ。僕には虫がついてるから。
虫の導きに従い、僕はひたすら進んだ。目の前の虫が本当に存在してるのか、ふと疑問に思った。
そんなことはどうでもいいじゃないか。虫がそう言った気がした。確かに。そんなことはどうでもよかった。
どれだけ進んだのか良く覚えてない。気がつくと、僕はある部屋の前に居た。
虫はもう消えていた。役目を終えたんだな。ありがとう。僕は消えた虫に向かって呟いた。
その瞬間だった。
僕の視界に遠藤智久が入ってきた。奴は僕に気付いてない。何かブツブツ言いながら歩いてる。
見られるわけにはいかない。僕はノックもせず、その部屋に入った。本当に早紀さんの部屋なのか確認せずに。
奴の声が近づく。ドアに耳を当てて、外の気配を伺った。声はどんどん近づいてくる。来る。
声が止んだ。そして、代わりに激しい息づかいが聞こえた。耳に響く。奴は、この部屋の目の前に立ってる!
ドア越しに視線を感じる。奴は今、この部屋に入ろうか迷ってる。やめろ。来るな。来るな!心の中で叫んだ。
息づかいは止まらない。むしろ激しくなってる。僕も息が荒くなってきた。汗が垂れてきてる。
来るな。来るな。来るな。来るな来るな来るな来るなクルナクルナクルナクルナクルナクルナ
あ゛ー
その叫び声はなんとも弱々しく、辺りに響いた。奴の叫び声だ。
しばらくの沈黙。その後再びブツブツ言う声が聞こえてきた。遠ざかっていく。去ったんだ。
僕は安堵の息をもらした。
改めて部屋の中を見渡してみる。誰もいない。ベッドがあるだけだ。
ベッドの上に何か置いてある。何だろう、と思って近づいてみた。
僕は叫んだ。
頭だ。人の頭だ!頭だけがベッドの上に転がってる!
なんでこんな所に。なんでこんなモノが。なんで僕が。なんだこれは。なんでこんなことに・・・・
僕は混乱していた。冷静になるまで数分かかった。
落ち着きを取り戻し、もう1度それを見てみると、それが人の頭ではないことに気がついた。
人形の頭だ。
僕はオクダのくれたバラバラ人形を思い出した。あれは頭だけが無かった。ここには、頭だけがある。
どう考えても、この頭はあの人形のものだ。僕は手にとって眺めてみた。
そして、突然ドア開いた。びっくりしてドアを見る。そこに立ってたのは・・・・・・僕の担当の先生だった。
先生も驚いてた。でも、すぐに平静さを取り戻した。「お前、こんな所で何やってるんだ!」と叫んだ。
僕が外に連れ出されるのに、それから10分もかからなかった。
家に帰った僕は、人形の頭を持ってきてしまった事に気がついた。
全部揃った。だから何だと言うんだ。早紀さんには会えなかったじゃないか。
人形の頭を眺めながら僕はそう思っていた。
せっかく中に入れたのに。
10/27 雷雨
昨日入った部屋は本当に早紀さんの部屋だったのか?そしてあの人形は?
もはやそんなことはどうでも良かった。僕は今、混乱してる。
病院のロビー。雨に濡れた身体で中に入る。
ベンチに座ってた人が僕を見て、近づいてきた。・・・・・・・・・・遠藤智久だった。
疲れ切った顔。いつものニヤけた顔は面影もない。
今日はナイフを持ってきてなかったので焦った。ここで闘ったら負けると思った。緊張が走った
けど、そんな不安はすぐに消えた。奴から殺気が全く感じられなかったから。
遠藤智久は本当に疲れてるみたいだった。声にも力が感じられない。狂気でさえも、感じない。
「追い出されちゃった」と呟いた。
僕は聞き返した。追い出されたって?寂しそうな顔をして奴は答えた。
「狂ったフリしてるだけだろ、だって。」
この男は・・・遠藤智久は「中」で扱わなければならない程危険じゃないって事か?
僕から見ればこいつも十分狂ってる。それでも、プロから見ればマトモな方なのか?
僕が色々考えてると、奴は急に顔を曇らせた。
「ねぇ」と声を上げる。涙声だ。
僕の目を見て語りかけてくる。奴の目は、とても・・・何というか・・・悲しい目をしてた。
そんな目をしたまま、奴は言った。
「早紀ちゃん、居なかったよ」
顔がだんだん崩れていく。奴の目から、涙が、こぼれた。
中の、何処にもいないんだ。早紀ちゃん、自分でここに居るっていってたのに、居ないんだ。
僕、早紀ちゃんがここにいるって信じてたのに。また騙されちゃったよ。裏切られちゃったよ。
カイザー君。早紀ちゃんここにはいないんだよ。隠れてるのかと思った。でも違うんだ。本当に居ないんだ。
見つけられないんだ。どの部屋にも、中庭にも、どの先生に聞いても、居ないんだ。居ないんだよ。
ねぇ。もしかして早紀ちゃん、僕の事キライなのかな?だから嘘の居場所教えたのかな?
でもさ、そしたら君も嫌われてることになるんだよ。へへへ。おあいこだね。へへへへへへへへへへへへ
その後はもう、泣きながら笑ってるだけだった。その姿はとても・・・・・哀れに見えた。
へへへ、という笑い声はロビーのざわめき声にかき消され、決して周りには響かない。
奴は再びベンチに腰を下ろし、泣き続けた。
その泣き声は何処にも届かない。広めのロビーの中で、奴一人ぽつんと取り残されてるみたいだった。
誰にも相手にされず、ただひたすら泣いてた。
ずっと。ずっと泣いていた。
僕はひどく混乱した。病院にいるともっと混乱してしまいそうだった。家に帰ることにした。
一度、落ち着いて情報を整理しなきゃいけない。いや、整理も何もない。奴の言った事をどう考えるかだ。
あの中に、早紀さんは居ない。
本当なのか?奴が嘘言ってるだけなんじゃないのか?でも、嘘つく理由がない。
それとも、中の人たちがグルになって早紀さんの存在を隠してるのか。
あるいはただ単に患者である遠藤智久に他の患者の情報を教えなかっただけなのか。
・・・・・・・・・・わからない。なら、自分の目で確かめるしかない。
いつもそうだ。自分の目で確かめなきゃ現実は見えてこない。僕は覚悟を決めた。
それがどんな現実でも構わない。どんな結果になろうと構わない。僕は真実を知りたいんだ。だから、
もう1度、中へ。
10/28 晴天
絶対中に入ってやる。この決意を胸にした僕を迎えてくれたのは、ベルの女の人だった。
病院に入った途端、「待ってたわよ。カイザー君。」と声をかけられた。
僕が何か言うよりはやく、その人は喋り始めた。
「本当はね。私、表舞台に出るつもりなかったの。けど、そうも言ってられなくなっちゃって。」
何を言ってるんだ?あなたは、誰なんですか?
僕が話そうとすると、彼女は人差し指を自分の口に当てて、しいっと言った。
「今は何も言わないで。いずれ全てがわかるから。」
僕があっけにとられて何も言えないでいると、勝手に歩き出していった。少し行くと振り返り、こう言ってきた。
「さあいらっしゃい。私が、中へ連れていってあげる」
僕はただついていくだけだった。中への扉に着くまで、彼女は喋りっぱなしだった。
もう中に入るための話はつけてあるから。でも先生には見つからないようにね。そうだ。先生の名前、知ってる?
知りません。先生ってたぶん僕の担当の先生の事だろうけど、名前は本当に知らない。
色々話を聞いてるから間違いないと思うけど・・・・・・その先生ね、岩本っていう名前なんだよ。
岩本先生。僕は一瞬背筋が凍ってしまった。それって、それってまさか・・・・・。
「着いたよ」
中への扉の前まで来た。彼女が警備の人と何か話して、戻ってきた。
「オッケー。中に入れるわよ。でも、ここからは一人で行ってね。」
え?と思わず聞き返す。早紀さんの所まで連れていってくれるんじゃないんですか?
ゆっくりと首を横に振る。一人で、とまた言った。
「なんかの映画のキャッチコピーでさ、『自分の目で確かめな』ってあったよね。私の言いたいことわかる?」
わかります、と僕は頷いた。そうだ。僕はここに現実を見るために来たんだ。僕自身の目で、現実を見るために。
なら迷うな。一人でも、行け。進め。
僕は一人で中に入るのに同意した。扉を開き、中へ。背後で彼女が叫んでるのが聞こえた。
「見るのよ。現実を。目をそらしちゃダメよ!」
僕は振り返らずに頷いた。そして、人形を手に入れたあの部屋に向かった。
・・・・早紀さんの元へ。
今日は迷わずに進めた。道は分かってる。ゆっくりと、確実に一歩一歩を踏み出す。
もはや傷害は何も無い。長かった。ここまで来るのに、本当に長い時間がかかった。
こんなに近くに居ながら、辿り着くことができすにくすぶってた毎日。でも、全ては今日、報われる。
階段を上がる。部屋が近づくにつれ、僕の緊張は高まっていった。気がつくと僕は早足になってた。
落ち着け。ゆっくりでいいから。僕の意志に反して歩くスピードは速まる。
落ち着いてなんかいられるか。待ちこがれていたこの時を、一分でも早く体験したい。
なぁ、正直になろうぜ。僕は自分に向かって呟いた。自分の本音をぶちまけろ。
早紀さん!僕は叫んでいた。そうだよ。これが僕の本音だ。
ワタベさんに頼まれたからとか。遠藤智久から守るためとか。そんな理由はどうだっていい。
早紀さんに会いたい。想いはこれだけで十分だ。ああそうか。僕は、そうだったんだ。この時初めて気がついた。
僕は、早紀さんの事を好きになってたんだ・・・・・。
もう僕は走ってた。階段はかけ上り、廊下を疾走する。早紀さん。もうすぐです。今行きますから。
息を切らせて駆けていく。早紀さん。早紀さん。早紀さん。早紀さん・・・・!
そして、部屋に着いた。
部屋の前に着いた僕は、数秒間息を整えた。ドアの向こうで気配を感じる。鼓動は収まらない。
心臓がバクバクいってる。ついに来た。僕は辿り着いた。もう止まるな。ここまで来たら、行くしかない。
呼吸を整える時間さえ惜しかった。すぐにでも中に入りたかった。でも、その前に言うことがあるんだろ?
この時の為に用意した言葉。前に見た映画に似たセリフ。お気に入りのセリフを、僕が言うんだ。
手を握り、拳を作る。そしてゆっくりと振りかざし、ドンドンと、ノックした。
落ち着いて息を吸って・・・・・僕は言った。
「早紀さん、迎えに来たよ!」
しん、と数秒静まった。僕はもう一度叫んだ。「早紀さん!僕です。カイザー・ソゼです!」
カタン、と中で音がする。ペタペタと、スリッパの音が。早紀さんだ。僕は胸が高鳴った。
ドアのすぐそこまで音が来た。カチャ、と音がしてノブが回った。ギィィと音を立ててドアが開く。
そこには、早紀さんが立っていた。
ずっと前早紀さんに会った時を思い出す。正確な顔は思い出せない。けど、目の前の顔と、明らかに似てる。
間違いない。この人が早紀さんだ。僕は震えた。感動のあまり涙が出そうになった。
今すぐここで抱きしめたかった。ありとあらゆる喜びが僕を包み込む。やっと会えたね、早紀さん・・・・。
早紀さんは僕の顔を見て、ぱっと表情が明るくなった。喜んでる。早紀さんも僕に会えて喜んでくれてる。
早紀さんは、そんな明るい表情のまま、口を開いた。
「カイザー・ソゼさん、来てくれたのね!」
カイザー・ソゼサン、キテクレタノネ
早紀さんの言葉が僕の脳に突き刺さる。突き刺さって、取れない。
さっきまで僕を包んでた喜びが、吹き飛んだ。遠藤智久は言った。「早紀ちゃん、居なかったよ」
ベルの女の人は言った。「見るのよ。現実を。目をそらしちゃダメよ!」
僕は目をそらしていた。目の前にいる人を見ずに、廊下の窓を見ていた。
目をそらしちゃダメよ。この言葉が体中に響いた。目を、そらすな。現実を見ろ。
僕はそのためにここに来たんだろ?昨日決意したじゃないか。どんな結果になっても構わないって。
僕は視線を戻そうとした。けど、出来なかった。見たら全てが崩れてしまいそうだった。
僕の信じてきた全てが、ガラガラと音を立てて、崩れる。いや、最初からそんなの存在しなかった。
足下に視線を移す。スリッパに素足。視線を上げろ。ゆっくりでいい。確認するんだ。ピンクの寝間着。
認めろ。細い足。もう誰なのか分かってるはずだ。細めの腰。痩せた身体。嫌だ。肩にかかった髪の毛。
認めたくない。白い肌。綺麗な顔立ち。笑顔のままだ。認めたら僕は。二重の瞼。きりっとした鼻。
無理だ。少し潤んだ目。これが現実だ。薄紫の唇。認めるしかない。顎にはうっすらと、
部屋の奥に人の気配がした。近づいてくる。僕の顔を見て驚いてた。先生だ。岩本先生。
目の前の人はまだ僕を見てる。何も言わない僕に、怪訝な顔して聞いてきた。
「どうしたんですか?」
ドウシタンデスカ。また僕の脳に、いや、体中にその言葉が突き刺さった。
その声が。その声の響きが全てを壊した。僕の、信じてきた全てを。
低く、鋭く鋭く突き刺さる。変声期を過ぎた、低い声が。
岩本先生がため息をついた。全てを諦めたような、そんなため息。
目をつぶり、首を何度も横に振った。ゆっくりと目を開ける。なぁ、と僕に向かって言った。
「これ以上、俺の息子に関わらないでくれ」
深い沈黙が辺りを包む。状況を把握できてない亮平さんだけが、ひとりオロオロしていた。
沈黙に耐えられなくなった亮平さんは、やがてクスンクスンと泣き始めた。
岩本先生が彼の腕をとり、部屋の中に戻っていった。
再び沈黙が訪れた。窓から差し込んだ太陽の光が廊下を照らし出す。
泣くことも、叫ぶことも、動くこともできないまま僕は、廊下に立ち尽くしていた。
僕の目にはもう、何も写っていなかった。
- 第3章 鎮魂歌 - 完
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